ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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アクティブ・ラーニングと、ラーニング・ピラミッド

アクティブ・ラーニングを解説するWEBページに、以下のような「ラーニング・ピラミッド」が表示されていることが少なくありません。一見してわかるように、「聞くだけの授業よりも、本人が主体的・能動的に参加する授業の方が、学習定着率が高い」という内容の図です。

 

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 このような図については、「そもそもの出典はどこなのか」、「NTLのどこから引用しているのか」、「学術的な裏付けはあるのか」などなど、さまざまな議論がありますが、その一方で、まあ、実際の授業での感覚に近いものがあるのも事実だろうと思います。

 ここでポイントになるのが、一番下の「他の人に教える」です。ひとことで言うと、たとえ学力差や苦手意識があったとしても、全員がアクティブに学習に参加することは可能だと考えています。

  • 学力差や能力差があるなかで、全員が「教え合う」のは難しい。
  • しかし、全員が『学び合う』のであれば、可能である。
  • 具体的には、「○○について説明しなさい。説明を聞いて納得してもらったら▲人にサインをもらいなさい」という形で課題を与える。
  • 当然、説明できない生徒も生まれるが、「どのように説明すればよいか」について他の生徒からヒントをもらって説明することにチャレンジする。
  • きちんと理解できていれば、それなりの説明ができるし、理解できなければ説明することはできないから、さらにヒントをもらうことになる。
  • 場合によって、「まあ、とにかく何か説明してみろよ。足りないところは、補足するからさあ」というような形で、最初から説明にチャレンジすることもある。
  • 「教える」「教えられる」という形では、教えられる側はずっと黙っていることになるが、「説明できるようになる」という課題では双方向の学習になる。
  • 比較的苦手な生徒であっても、自分の言葉で説明することになるから、自分なりの理解につながる。
  • 教える側についても、苦手な生徒がだんだん説明できるようになる様子を見ながら、自分自身の理解内容について深めていくことになる。
  • あるいは、苦手な生徒の「あ。わかった。こういうことだね」という端的なひとことにより、大きく理解が進むこともありうる。

などなど、さまざまな利点があると思われます。


本件については、次のような貴重な御意見もいただいています。

「ラーニングピラミッドの出典は前にもやったデールの円錐だし、そこから導き出されるケツヨ論は具体的な活動から抽象的な活動を経て具体的な活動に戻ってくる(振り返り)の重要性だと思っています。ゆとりかどうかも、アクティブかどうかもその些細な差異を強調して表現したに過ぎないと思うんだよね」

 

この「デールの円錐」については、次の記事をごらんください。
http://www.kri.sfc.keio.ac.jp/report/mori/2003/A-1/e-learning.html

 

以下、引用します。

エドガー・デール(Edgar Dale)は、1946年、有名な「経験の円錐」という図を示し、人間の認知は直接的・具体的な経験から、種々の抽象化を経て、最後に最も抽象的な言語象徴すなわち「概念化」に達すると説明した。
文書による学習だけではなく、多様な教育メディアを活用することによって、図に示した円錐の上昇方向(具体から抽象へ)と、下降方向(抽象から具体へ)の両方向への動きが活発に行われることで、教育的に豊かな経験となる、ということである。つまり、「百聞は一見にしかず」と、「百見は一体験にしかず」ということであるが、こうした学習を積み重ねることで、学習は深まっていくということを示唆している(もちろん、学校評価についての学習だけに限ったことではない。)。

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(図:デール「経験の円錐」;水越敏行『授業改造の視点と方法』明治図書、1979年)