ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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ルールは変えるべきだ

今日は、『学び合い』とは少し離れて、普段、考えていることについて書いてみます。

 

学校には、ルールがあります。具体的には、

  • 憲法をはじめとする法令
  • 学校全体で決められているルール
  • 学年で共通にしているルール
  • クラスで独自に決めているルール

などです。

 このうち、最後のルールについては、他のルールと矛盾しない範囲で自分たちで決めることができますし、必要に応じて変更することも可能です。私は「学級のローカルルール」と呼んでいますが、これを用いて、ア)ルールには、どのような条件が必要なのか、イ)どのような場合にどのような方法で変更するのか、について生徒と一緒に考えるようにしています。あれこれ、たくさん考えたくなるのですが、なるべくシンプルになるように、心がけています。

 

ア)ルールの条件。「守っているか、守っていないかが、はっきりわかるようなものにする」。

たとえば、「うるさくしない」、「ふざけない」は、ルールとしては採用しません。「うるさいのか、うるさくないのか」の区別や、「ふざけているか、ふざけていないのか」の区別が、できないからです。わがクラスでのローカルルールは、「他の人の身体には、触らない」です。現実には、じゃれあったりする場面も見られますが、このルールを運用する場面では、「あなたは、この人の身体に触りましたか?」、「ハイ」、「では、あなたがルール違反ですね」で、おしまいです。

 

イ)ルールの変更。生徒が大人になるにつれて変更する。簡潔に、「こういうルールにしてもいいですか」「ハイ」で変更する。

 小学校を卒業したばかりの生徒に適用するルールと、卒業間近ですっかり大人になった生徒に適用するルールは、違っているのが当然だと私は思います。しかし、ルールの変更を教師が恣意的に行ってはならないと私は思います。上の、ア)のように「守っているか、守っていないかが明確に分かる」ルールを定めると、生徒が大人になるにつれて、「そのままの形でルールを守ろうとすると、いろいろと不都合が生じる」場合が出てきます。結果として、ルールが守られなくなります。私は、生徒たちに、あらかじめ、「ルールは、そのうちに、だんだんうまく当てはまらなくなる。それは、皆さんが大人になった証拠だから、むしろ喜ぶべきことだ。ルールがうまく当てはまらなくなったら、みんなで新しいルールを決めよう」と、くり返し伝えておきます。

 いよいよ、ルールの変更が必要と思われる時期が近づいてきたら、あらかじめ生徒たちに、「もしかすると、ルールの変更が必要かもしれない。みんなで、新しいルールを考えておいてもらえないだろうか」とリクエストしておきます。こうしておくと、生徒たちの方から、「センセイ、そろそろルールを変えようよ」というリクエストが出てきます。たいていの場合には、すでに新しいルールの形ができあがっています。そこで、生徒たちに新しいルールについて話をきき、上位のルールに矛盾しないか確認したうえで、「朝の会」や「帰りの会」などの場面で、「◯◯について、△△というようにルールを変更しようという意見があるんだが、どうだろうか」と聞きます。「いいと思いまーす」という声があがれば、それで決まりです。

 念のため、「実際にやってみて、何らかの問題があるようなら、先生に教えてもらいたい。一緒に解決策を考えてみよう」と、ひとこと言っておきます。

 ◇ ◇ ◇

 ルールは、変えるべきだし、生徒自身が新しいルールの策定に参画すべきだと思います。ただ、一番大切なことは、「自分たちがルールづくりに実際に参加している」という実感を、生徒が持つことであって、ルールを変更する手順については、簡略化してもよいと私は思っています。

 家庭や、仕事のグループや、身近な集まりの中では、あまり面倒な手続きを経ずに、サラッとルールを決めたり、柔軟に運用したりということも多々あると思います。民主主義は、「手続きの民主主義」であるということは、十分承知しているつもりですが、構成メンバーがきちんと納得できるような、シンプルな手続きを探していくことも大切ではないだろうかと考えている次第です。