ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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皆さんは、私を好きになる必要は、これっぽっちもない。

 『学び合い』を実践するときに、私が最も大切にしているのは、「ひとりも見捨てない」ということです。言葉としても、毎日、毎時間、繰り返しますし、自分自身の言動について自己評価する際の判断基準&規準になっています。

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 「ひとりも見捨てない」という言葉とともに、しばしば用いるのは、「わたしは、みなさんのことをすばらしい人間だと思いますし、こうして毎日つきあっていて、みなさんのことがとても好きです」という言葉です。これも「です」「ます」の部分も含めて、このままの言葉で生徒たちに、よく語りかけます。

 ただし、「ひとりも見捨てない」こと、「すばらしい人間だと思う」こと、「みなさんのことがとても好き」ということは、生徒に迎合するということではありません。大声を出して恫喝したりはしませんが、「ダメなものは、ダメ」です。法令で定められたルール、学校で決められたルール、クラスのみんなで確認したルールを守らなければ叱ります。つまり「ダメなんですよ」と、何度でも伝えます。クラス全体を対象にすることも多いですし、個別に伝えることも少なくありません。

 また、明らかに手を抜いて楽をしようとしている場合にも、「わたしには、本気になっているようには見えないのだが、あなたは本気でやっていますか」という言い方で迫ります。これも、断固として「やるなら、本気でやろうよ」と、何度でも伝えます。とくに「ひとりも見捨てない」ということについては、強制はしないものの、「絶対に、ひとりも見捨てないということ。これは、なんとしても実行してもらいたい」と迫ります。こちらも、クラス全体に対しても、個別にも、ネチネチとくり返し伝えます。

 中学生は、発達段階としては「反抗期」の生徒も少なくないので、このような言い方をすれば、生徒は「チョー ムカツク」という気持ちになることは少なくありません。私は、それでいいと思っていますし、むしろ生徒が表面上「反抗的」な方が健全だと思っています。生徒の「ちょっと痛いところ」を指摘すれば、生徒はチョームカツクわけです。そういうときは、「反抗的になるのも理解できるが、では、ひとりも見捨てないという考え方からすると、あなたの考えや気持ちは、あなた自身が納得できるものなのだろうか」と切り返します。切り返された生徒は、ますますチョームカツクっっとなります。

 このようにして、生徒の気持ちをムカムカ状態にさせておいてから、標題の言葉を使います。

 「わたしは皆さんのことが大切だし、とても好きだと思っているが、皆さんが私を好きになる必要は、これっぽっちもない。私は先生として担任として、ダメなものはダメだと言い続ける。そのことは覚悟してもらいたい」。

 実際のところは、こちらも人間ですし気持ちが揺れたりすることも多いわけですが、「軸はブレさせないぞ」ということを生徒に伝えるには、なかなか有効な言葉だと思っています。