ひとりも見捨てないことを、あきらめない

学校教育、社会教育、数学、技術家庭科、Youtube、EdTech、ICT、プログラミング、その他

努力することは、一番大事なのか

「努力することが一番大事」という論法には、繰り返し、いろいろなところで出会います。私は、この考え方には、あまり賛成できません。

 念のために言いますが、努力すべきか、すべきでないか、と聞かれたら、もちろん「努力しましょう」「努力すべきです」と答えます。職場の同僚であれ、後輩であれ、子どもたちであれ、「ちゃんとやってるかい?」という内容のことを言いますし、それは同時に自分自身に跳ね返ってくる言葉でもあります。「自分はしっかり努力しているだろうか」と、自問自答します。

 しかし、「努力することが一番大事」とは考えていません。

 努力するのは、なにかの目的があって努力するわけです。なにかを覚えたいのか、なにかができるようになりたいのか、なにかの成果を得たいのか、とにかく、何らかの目的があってそのために努力します。

 ですから、目的が達成されなければ意味がありません。「いや、たとえ目的が達成されなくても、本人が成長すればいいんだよ」というのは、私はゴマカシだと思います。本人が成長するか否かは付随する結果であって、まず第一に目的が達成されなければダメだと思います。

 もちろん、当初の目的がすべて達成されるとは限りません。途中で軌道修正して、部分的な結果に終わることも多々あると思います。しかし、軌道修正というのは、それ自体がとてもクリエイティブな活動のはずです。自分で考えた目的を自分で修正することもクリエイティブですし、みんなで考えた目的を修正するとなったら、侃々諤々の議論が起こりうるでしょう。いずれにしても、(軌道修正した)目的を達成するために努力するのであって、目的が達成されなければ、まさに時間と労力の無駄だと思っています。

努力することは一番大事なことなのだろうか

努力することは一番大事なことなのだろうか

問題なのは、「努力することが一番大事ではない」と分かっていても、いつの間にか「努力すればいい」「努力が一番大事」という論理に吸い込まれてしまいそうになることです。自分自身にもそういう気持ちがありますし、まわりからそういう無言の圧力を受けることもあります。アタマで分かっていても、実際の行動では、「そういう風にしなければならない」場面もあります。「そもそも、一番大事なことは何だろうか」と問いたくても、そんな余裕がないこともあります。

そのときに、どうするのか。職場のなかで、他の皆さんと仲良くしながら、どうやって本質的な部分を逃さないようにするのか。たくさん考えなければなりませんし、上述したとおり、考えるだけ(努力するだけ)ではなく、きちんと結果を残さなければなりません。