ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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ギリギリの行事をやめませんか

 全国のどこの学校でも、年間を通じて、さまざまな行事が行われていると思います。始業式、入学式に始まり、新入生歓迎会、健康診断、部活動の体験会、校外学習、林間学園、修学旅行、体育祭(運動会)、文化祭、合唱コンクール、等です。定期テストもありますし、保護者が関係する行事やイベントもあります。部活動の練習試合や大会などもあります。

 これらの行事をどの程度実施すべきか、現状を維持するのか、減らすべきなのか、形を変えて実施するのか、ということについては、それぞれの学校の歴史や地域との関わり、保護者の考え方など、多くの要因がありますので、簡単に結論は出せないだろうと思います。自分の学校と、となりの学校を比べて、行事がひとつ多くても少なくても、形が違っていてもよいだろうと思います。

 問題なのは、多くの学校では、「行事をギリギリでやっている」ということです。行事の個数もギリギリですし、準備の時間もギリギリです。

 ギリギリでやっていると、どうしても「とにかく、決められたことをやろう」という気持ちになります。細かい配慮や、意欲づけなどがおろそかになります。時間と体力ばかりつかって、生徒の実態がうまく把握できず、「一所懸命にやったし、生徒も喜んでいるから、これでいいよな」と考えてしまいます。特に「生徒も喜んでいるから」の部分について、「本当にそうなんだろうか」という振り返りが必要だと思います。まわりの生徒が頑張っているから、自分は黙っているという生徒が、どの程度いるのか、把握する必要があると思います。もしかすると「忖度」してしまっている生徒も、いるかも知れません。

 生徒の立場としても、「もしも不満があるなら、自分たちで改善していく」という視点が必要だろうと思います。「それだけの手間と時間がない」という声を聞きますが、そのこと自体が「ギリギリ」ということだろうと思います。「ギリギリで、とにかくやる」ことと、「じっくりと考え、自分たちで改善する」のと、生徒自身が卒業したあとで生徒のためになるのは、どちらなのか、考えてみる必要があると思います。

 もうひとつの重要な問題点は、「一所懸命やって、みんな喜んでいるから、それでいい」という論理構造には、「生産性をあげる」という観点がまったく抜け落ちていることです。これは、とても大きな問題だと思います。もっと、短い時間で、もっと教育的な効果をあげて、しかも教職員も児童生徒も負担が少なくなるような方法はないのか。そういう抜本的な改善策を考えるという視点が、まるごと抜け落ちてしまいます。

 「いままでの方法でいい」、「一所懸命やればいい」、「(一部の)児童生徒が喜んでいればいい」ということを繰り返し、現状維持を強要しつづけると、そのことで最も大きな影響を受けるのは、児童生徒自身です。つまり、全国の学校で、「生産性をあげようとしないオトナ」を大量生産してしまっているかも知れません。

 私自身の提案は、次のとおりです。

 まず、現在までの準備期間(日数や必要な時数)を算定します。次に、「その半分の日数と時間で、同様の感動を生むイベントを計画すること」を課題とします。大幅に削減するべきか、新しいものを作り出すべきか、「半分で」という制約を課すことでアイデアが生まれます。

 いままでの半分の日数・次数で行事を実施し、「ギリギリの状態」から抜け出してみてはいかがでしょうか。

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