ひとりも見捨てないことを、あきらめない

学校教育、社会教育、数学、技術家庭科、Youtube、EdTech、ICT、プログラミング、その他

「人に教えてあげること」は、「得」なのか

 先日、「人に教えてあげることは【得】である、ということが、どうにも納得できない」という方の文章を拝見しました。御本人が納得できないのだから、納得できないのだろうなあ、というのが第一印象です。「のんびり、待つしかないかなあ」という気持ちにもなりました。

 私自身は、「自分以外の人に、教える(伝える)という行為は、自分自身にとって、決して損にならない」という考えです。ただし、絶対に必ず得になるとは限りません。(私自身は、得になる場合の方が、ずっと多いですが)。

 理由はいろいろあるのですが、そもそも人間はお互いに伝えあい、教え合わないと生きていけません。親から子どもへ、経験者から未経験者へ、さまざまなノウハウを伝えることで、人類は生存しています。ほとんどの動物は、これらのノウハウをDNAに組み込んでいると思いますが、人間はDNA以外の「変更可能な外部記憶装置」にノウハウを蓄積して伝え、場合によって改良することによって生きています。したがって、自分以外の人に伝えるというのは、人間の「本能」だと思います。

 次に、上のような理由により、人間には「ひとりでじっとしている」よりも「他人に伝える」方が快感を感じるようにプログラムされていると思います。「自分が相手に伝えている」という場面や、「伝えて相手がわかった様子を見る」という場面では、おそらく脳内に快感を感じる物質が分泌されて、気分がよくなっていると思います。つまり、本能的に「伝えると気分がよくなる」ように身体がつくられていると思います。この物質は、気分がよくって元気になって、身体が健康になるという副作用を持っています。したがって、「伝える」ことは自分にとって「得」だと思います。

 また、「人に教えないで、自分だけが出世した方が得である」という考え方もありますが、これは自分の得にはつながりません。たとえば、社員が10人の会社が2つあったとして、A社では「他人には伝えず、自分だけが出世」という考えが支配的だったとします。B社では「ノウハウをどんどん共有し、みんなが成長するのがよい」という考えが支配的だったとします。ふたつの会社を比べれば、B社の方が社員が成長して、会社が(一般的な意味で)実績をあげていくだろうと思います。

 「そうは言っても、人間は自分のことを最優先に考えるのが、自然な状態だ」という意見もあります。わたしもそう思います。まず、自分自身のことを最優先に考えるのが自然です。無理に、「他人のことを大事にしなさい」という考えを強制しても、うまくいきません。ただし、自分の会社のメンバーが10人居たら、そのうちの誰か1人のことを、「あいつはダメだから見捨てよう」と考えるのはやめた方がいいと思います。誰か1人を見捨てると、その人は実質的に居なくなってしまいます(「窓際に行く」というのは、実質的に居なくなることです)。すると下から2番目の人が「あいつもダメだ」という対象になってしまいます。3番目の人は、自分自身かも知れません。そうなったら、とても「損」です。ですから、少なくとも「見捨てる」のはやめましよう。

 「見捨てるをやめる」のはいいとして、では、自分には何ができるのか、というのが次の課題です。私自身は「自分にできることを、自分ができるときに、自分のできる範囲で実行する」のが得策だと思います。無理をしても続きませんし、たいていの場合、本末転倒になってしまいます。「人に教える(伝える)」というのも同様で、無理をして誰かを教えてもあまり意味がなく、自分が伝えやすい人に伝えていくのが第一だと思います。したがって、教室内の位置を座席等で固定してしまうのは、本当は得策ではないでしょう(ただし、いますぐに自由にしてしまうと、同僚のセンセイ方が不安に思います。他人を不安にさせることは、あまり得策ではありません)。

 「教えてもらう側」は、「できれば、この人に教えてほしいな」という気持ちを持っていることが多いです。このような気持ちをもっている人を相手にすると、「教える側」は、より一層「いい気持ち」になって得です。さらに、教えられる側が「わかったー」と言うと、教える方は「ものすごくいい気持ち」になって得です。しかも、容易に想像できるように、「教える(伝える)」という行為は、自分自身の理解を整理・深化させるので、自分自身にとっても、また集団全体にとっても「得」になります。

 まだまだ、「得」なことは、たくさんありますが、とりあえず、ここまで。

f:id:takase_hiroyuki:20190709213934p:plain