ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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「他の人に説明し2人からサインをもらいなさい」の意味すること

 『学び合い』の授業で生徒が達成すべき課題を設定するときに、

◯◯を求めなさい。その求め方をクラスの2人の人に説明し、納得してもらえたらサインをもらってください。

という形で課題を設定することがよくあります。

 わたしは、この課題の設定の仕方が、とてもよく考えられていて、すごいなあと思っています。ざっと考えただけでも、次のような利点があると思います(利点の個数は、まだ増えるかも知れません)。

 

1 「お互いに教えなさい」ではなく、「お互いに説明しなさい」である。

 もしも、お互いに教えなさいであれば、教える人と教えられる人は、おそらくある程度固定してしまうだろうと思います。もちろん、「数学では教えられる側だけど、社会科は得意なので教える側になる」というような場合もあるだろうと思います。しかし、数学では、おそらくずっと「教えられる側」のままでしょう。

 お互いに説明するのであれば、双方向が可能です。わかっている生徒が、わかっている生徒に対して説明するのは、自分の理解を確認するためです。わかっている生徒が、わかっていない生徒に説明するのは、わかっていない生徒を助けるためです。わかっていない生徒は、最初は説明できません。したがってまわりの生徒が「こういうふうに説明するんだよ」と教えることになります。本人が、その説明を言えるようになれば、本人が理解したことをまわりも確認できます。本人が、その説明を言う際に、語句を間違えたり、説明が飛躍してしまえば、理解が不十分だということがわかります。

 

2 「理解しなさい」ではなく、「説明しなさい」である。

 わかっている生徒が、わからない生徒に説明すると、わからない生徒は、「うんうん」と黙って頷きます。説明がおわったときに、「わかったかい?」、「うん、わかった」だけで終わってしまうと、本人が本当に理解できているのかどうか分かりません。これは、上の1で述べたことです。

 もうひとつの利点は、教えてもらった生徒が「説明」することで、自分の手や口を動かします。これが、学習の定着に役立つと考えられます。たんに聞いてるだけ、頷いているだけでなく、自分の手を動かし、口を動かし、自分の声を聞き、周りの反応を見て学習する方が、学習の定着につながるだろうと私は思います。

 

3 サインをするということに責任が生じる。

 たまーに、「説明できるようになったかい?」と聞きます。基本的には、「おそらく、サボっているんじゃないかなあ」と思われる生徒に対してです。そして、説明できない場合には、「でも、サインしてもらったんだろ?」と確認します。そして、「誰にサインしてもらったんだい?」と聞きます。サインした人は、「ヤバイっっ」となります。これを、おだやかに、しかしまわりにも聞こえるようにやると、「きちんと説明をきいて、きちんとサインしよう」というように学級全体が変化します。

 

4 いままで学習してきたことや、その生徒の既習内容の違いを吸収してくれる。

 ある事項について学習の様子が異なる場合があります。クラスによっても異なるでしょうし、個人によっても異なるでしょう。しかし、「説明をする」という作業を通じて、個々の生徒の理解の違いや、既習事項の違いが吸収されていきます。なぜならば、そもそも理解する際に必要な事柄がわかっていなければ、理解もできないし説明もできません。したがって、わからないことについては、周りの生徒が寄ってたかって教えてしまうのです。

 なお、学級集団によって、説明のレベルが多少異なることはありえます。しかし、『学び合い』は、1回の授業だけで完結するものではなく、ひとつの事項について、何度もくり返しわかるまで学習するという点が、大きな特徴のひとつです。教科書も、基本の問題から応用問題まで、いろいろそろっています。最後の応用問題を『学び合い』で学習する頃には、少なくとも基本的な内容について、「いやというほど」くり返しお互いに説明しているのが普通です。