ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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テストの本質的な目的ってなんでしょう

 私の文章を読んでくださった方から、「テストの本質的な目的って何でしょうか?」という問いかけがありました。読んでくださるだけでもありがたいのに、コメントまで書いてくださって、本当にありがたいです。

 そこで、テストの目的を考えてみました。大きく2つあると思います。ひとつは、選抜のため。もうひとつは、生徒がきちんと理解できたのかを評価し、フィードバックしてさらによりよい学習につなげるためです。

 

選抜のためのテストは、恣意的にならざるを得ない

 高校や大学の入学試験であれ、入社試験や公務員試験などの就職に関わる試験であれ、選抜のためのテストというものは、たしかに存在します。けれど、ア、そのテストは本当にその人の「力」をきちんと測っているのか、イ、そのテストで良い点数をとったからといって、その人は入学後(入社後)によい結果を残すと保証されるのか、という問題はつねにつきまといます。

 また、テストは「テスト対策」をやると、点数があがります。「テスト対策」をして点数があがったからといって、本人は本当に「実力」を身につけたと言えるのかという疑問が残ります。

 つまり、いろいろな意味でテストは恣意的にならざるを得ないのです。

 したがって、私は、「しょせん、テストはテストに過ぎないのだから、チャレンジするなら楽しくチャレンジしよう」、「もしも避けて通れないものなら、仲間とともに励まし合ってみんなで頑張ろう」、「その方が、きっと楽しいよ」と生徒たちには語っています。

 こういう言い方をすると、「なんて、いい加減な!!」と怒りたくなる方もいらっしゃるかも知れませんが、結果的に、この方が成果が出ます。テストはどうせ1日だけとか半日だけです。そのために毎日毎日をギスギス生活するよりは、「みんな一緒にがんばろうぜ」と励ました方が意欲も出ますし、実際に学習時間も増えます。

 

テストはフィードバックしてこそ意味がある

 もうひとつの、「フィードバックして、よりよい学習につなげる」という言葉には、2つの目的が含まれています。

 ひとつは受験者である生徒にフィードバックして、生徒が自分の弱点を確認し、もう一度学習に取り組んでさらに自分の力量を高めるという目的です。自分自身が学習した内容が定着しているかを確認するわけですから、学習した内容とテストする内容が違っていたら評価になりません。したがって、テストの問題は学習した内容と同じにすべきだと思います。それも、句読点や段落を含めて、一字一句同じ方がよいと思います。

 「それでは、事前にテストの問題がわかってしまうから、テストとしての意味がない」とお考えの方もいらっしゃるかも知れませんが、すべての生徒が、すべて同じ問題に取り組み、その問題がテストに出るのであれば、公平性は保たれると考えられます。

 また、週に4回の授業では、定期テスト定期テストの間には、すくなくとも25回程度の授業があります。したがって、授業で扱う問題数は、合計100問とか150問に達します。このなかから、実際にテストに出題するのは、どんなに多くても50問程度だろうと思います。生徒が100問以上の問題の答えをすべて暗記できるとは、とうてい考えられません。したがって、やはりテストの時間内に一生懸命考えるしかないので、テスト問題としても妥当なものになると考えられます。

 

教える側にとっても、「同じ問題」の方が意味がある

 さて、フィードバックのもうひとつの目的は、教える立場の、教える技術の向上です。別項でも述べたのですが、アクティブ・ラーニングの授業であっても、教える側は常に向上に努めなければなりません。自分の授業を振り返るとき、授業で扱った問題とテストの問題が異なると、自分の授業の妥当性はわからないはずです。したがって、テストの問題は授業で扱った問題と同じでなければならないと私は考えます。

 

生徒には、授業を超えてほしい

 私が考えるアクティブ・ラーニングの授業では、授業で教科書の題材をそのまま扱うことが多いですし、テストの問題も教科書の問題をそのまま出すことが多いです。しかし、その問題を解決する方法は、じつに多様です。そして生徒は、しばしば教える側の予想を上回る取り組みをします。教師が「この問題は、こういうふうに解きなさい」とレールを敷いてしまったら、生徒はそのとおりにしか考えられなくなります。

 その一方で、生徒達が自由に発展的に学習活動を行ったとしても、やはり「戻るべきところ」は必要だろうと思います。それは、日本人全員が身につけるべき学習の基礎でしょうし、具体的には学習指導要領に示されており、教科書という形で具現化されていると考えられます。しかも教科書は、すべての生徒が持っています。

 

本当の「テスト」は、学校などでの学習が終わったあとにやってくる

 以上のようなテストは、「どんなテストがやってくるのか予想できるテスト」です。したがって対策も立てられるし、準備もできます。でも、本当の「テスト」は、その生徒か社会に出て役に立つかどうかという部分だろうと思います。

 たとえば、生徒が卒業してから会社に就職したとします。そしてその会社ではすばらしい新製品を開発したとします。生徒は、社員としてその新製品を売らなければなりません。しかし、新製品ですから一般の皆さんは、その製品のことを誰も知りません。誰も知らないけれど、その新製品の素晴らしさを伝えていかなければなりません。どうやって伝えていけばいいのか。答えはどこにもありません。答えどころか、どのように問題を設定すればいいのかすら、よくわかりません。でも、こういう問題に「答え」を出していかなければならないのです。

 数学の授業の題材として、教科書の問題ばかりを扱ったとします。アクティブ・ラーニングの授業では、もしも隣の友達が問題を理解できなければ、ひとりも見捨てずに手伝わなければなりません。その友達は、自分が「あたりまえ」と思っていることができずに苦しんでいます。「あたりまえ」のことを、どのように説明すればいいのでしょうか。そこに「答え」はありません。けれども、自分が「この数学の事柄はとても大事」と考えるならば、たとえ友達が何も知らなくても、なんとか説明して伝えていかなければならないのです。

  数学や国語などの各教科の内容などの「すばらしいこと」を、他の生徒に伝えていく作業ですね。