ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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知的障害のない発達障害

 「知的障害のない発達障害」という言葉をよく見かけるようになりましたが、疑問が2つあります。

 ア、ここ数十年で「増えた」ように思えますが、生物学的に考えると、そんなに短期間で「増えるわけがない」と思います。ということは、今まではそういうふうに捉えていなかったものに対して、「注目しているから増えているように見える」のではないかと思います。

※補足※ 本稿を御覧になった方からの指摘ですが、「生物学的には変わらないかも知れないが、<親の世代>は以前に比べて年齢が高くなっている(出産する年齢が高くなっている)ので、その影響はあるかも知れない」との指摘をいただきました。しかし私自身は「出産する年齢が高くなると、◯◯になる」と断定するのは、非常に問題だと思います。

 イ、諸外国での増え方が気になります。日本だけの現象なのか、先進国だけの現象なのか、全世界で似たような増え方をしているのか。仮に、日本に特有の現象だとして、ではその原因(または比較的強い相関がある要因)は、何なのか。

 

 私自身は、上のアで述べたとおり、「注目しているから増えている」という事柄に近いような気がします。「近い」というのは、「注目せざるを得ないので、どうしても注目してしまう」という意味です。

 私の考えは、「本来、いろいろな人がいて、いろいろな良さを持つていて、でも苦手なこともいろいろあるのが人間なのに、教育現場等では、同じになりなさい、同じでなければならないという圧力(同調圧力)が増してきている。そのため、少しでも違う人が、目立ってしまうし、その違いを素直に認めることができず、違いをなおすという方向で考えてしまう。その結果、増えているように感じられる」というものです。

 「同じ年齢の児童・生徒が同じ学年にいるから、学校教育は成り立つのだ」という主張も聞こえてきそうですが、そもそも小学校1年生で入学するときには、6才になったばかりの児童と、7才になりそうな児童が一緒に入学します。人生の6分の1の違いがあります。これは「42才の大人と49才の大人の違い」くらいの違いになります。「同じ年齢」と言っても、このくらいの違いがあるのですから、この際、学年とか年齢の垣根を取り払って、なるべく多様な人と関わることができるような環境を「日常的に」つくってもよいのではないかと思います。

 

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