ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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「君たちは、チームだ。チーム◯◯年◯◯組だ」

「ひとりも見捨てない」という合言葉

 「ひとりも見捨てない」という合言葉は、クラスがチームとして行動するときに、絶対不可欠だと思います。この「見捨てない」という言葉は、実はとても幅が広く、自分の仲良しの友達を見捨てない、すぐとなりの生徒を見捨てない、教室の反対側に座ってひとりぼっちでいる生徒を見捨てない、学級全体がうまく軌道にのれるようにサポートするという意味で「見捨てない」など、さまざまな取り組み方があります。

 生徒は、自分のできることを、できる範囲でやればよいわけです。そして、結局のところ、自分のできることしかできません。それ以上のことをやろうとしても無理です。無理だけれど、やっぱり「ひとりも見捨てない」ようにしよう。そのために自分のできることを、少しだけ頑張ってみようというのが、この言葉の意味だと思います。

 

「ひとりも見捨てない」が負担になる児童・生徒

 その一方で、「ひとりも見捨てない」が負担になる生徒も居ます。特に「先生の言うことをよくきいて、とても良い子で育ってきた生徒」は、この言葉に過剰に反応して、ヘトヘトになってしまう場合があります。学級全体に、「ひとりも見捨てないようにしようよ」と呼びかけたときに、すぐに動き始める生徒は、むしろ要注意です。

 ですから、学級全体に対して「困っている友達を助けている人がいて、すばらしいと思いました」とプラスに評価しながらも、個別には「おい。おまえ、ずいぶん頑張ってるけど、無理するなよ。もともと、勉強を教えたりする責任はセンセイにあるんだから、おまえひとりが無理することないんだぞ。辛いなあと思ったら、必ずセンセイに教えてくれよ」などとフォロウしておく必要があります。

 

頑張っている生徒を、名指しでほめるのは逆効果かも。

 クラスがチームとして動き出すときに、それに乗ろうとする生徒は、指導者からみるととても頼もしく、ありがたい存在です。しかし、その生徒を名指しでほめるのは、逆にその生徒を追い詰める可能性もあるので、十分に注意が必要です。

 

なかなか「ひとりも見捨てない」に同調できない生徒をどうするか。

 原則として、学級全体に対しては「みんなで、ひとりも見捨てないようにしてください」とうながすだけにして、個別に名前をあげたり、個別に対応したり、叱ったりということはしない方がよいと思います。まわりの生徒に対して、自分から援助できない生徒は、次第に学級のなかで、なんとなくひとりぼっちになっていきます。なぜならば、他の生徒達は、お互いに「ひとりも見捨てないようにしよう」と盛んにコミュニケーションをとるからです。

 少しずつ、ひとりぼっちになってきたタイミングで、学級のなかには「あ。この人は、なんとなくひとりぼっちだな」と気づく生徒が、必ず数人います。そういう生徒が、自然に輪のなかに引っ張り込んでくれます。

 

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「ひとりも見捨てない」をプロジェクトと考えよう

 「ひとりも見捨てない」は道徳的な価値ではありません。「ひとりも見捨てない」は、「そういうふうにすると、自分が得をすること」です。どのように得をするかというと、ひとりも見捨てないという考えを持っていると、自然にその人の周りには他の人が集まってきます。そうすると、自分ひとりではできないことが、周りの皆さんの力を借りて、いろいろとできるようになります。このことが、最大の「得」だと私は思います。

 「ひとりも見捨てない」は、そういう「得」なことですから、やらないからといって道徳的に非難されることではありません。また、どの程度やるかは、個人の考えや力量に任されます。

 集団としては、「ひとりも見捨てない」を実施すると、集団全体の力量が高まります。教科の学習であれ、体育祭や合唱祭などの行事であれ、新聞づくりなどの学級で取り組む作業であれ、「ひとりも見捨てない」ようにしていると、短い時間でレベルの高い作業ができるようになります。

 ただし、取り扱う題材によって、得意な生徒と苦手な生徒がいるのは当然です。体育が得意で体育祭で大活躍する生徒は、もしかすると学級新聞づくりは苦手かも知れません。

 いろいろな題材について、その都度「ひとりも見捨てない」を実施するのは、したがって、実は「ひとつひとつが別々のプロジェクト」です。個々のプロジェクトを成功させる過程を通じて、「ひとりも見捨てない」を体得し、また、さまざまな人と折り合いをつけながら、多くの人の力を結集するワザを身につけていくと考えてみてはいかがでしょうか。