ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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『学び合い』とは。イエナプランとの比較で。

上越教育大学の西川純先生が、御自分のゼミ生のことについて書いておられます。以下は、その全文のコピーです。このような場合には「一部の引用」は認められますが、全部コピーしてしまうのは良くないように思います。

ただ本論については、イエナプランと『学び合い』の比較という論になっていますが、逆に『学び合い』の本質をよく表していると思います。特に、後半部分の「学び合いでは、」といういくつかの文章は、短いですが重要な要素が凝縮されていると感じました。後半部分だけを引用したのでは、全体のなかの位置づけが不明確になってしまうと考え、全文コピーとした次第です。

わたし自身もイエナプランについては、インターネット上で概論をいくつか読んだだけという状態です。今後も、学びつづけたいと考えております。

出典
https://www.facebook.com/jun24kawa/posts/656211874445854

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 うちのゼミ生がイエナプランを学びにオランダに行きました。行動力に脱帽です。日本においてイエナプランの素晴らしさを広げたリヒテルズ直子さんは、 『学び合い』の会にも講演にいただいた方です。異学年教育を積極的に取り入れるなど、 『学び合い』と重なる部分が多く、共感しておりました。

 でゼミ生が、イエナプランと 『学び合い』とはどこが違いますか?と質問してきました。正直、ドキリとしました。というのは、私は基本的にそのような比較をしたことがなかったのです。

 私なりにまとめてみました。ただ、私の誤解も多いと思うので、私のメモを読まれている方の中には、よくご存じな方も多いと思いますので。誤解があれば、教えていただきたいのです。あくまでも、感じ、のレベルで、学術的な裏付けがあるわけではありませんから。

 違いの第一は、 『学び合い』は「一人も見捨てない」ということが出発点です。それに対して、イエナプランは理想の教育を目指しているところが違うように思うのです。これはサドベリー・スクールにも共通しています。

 第二は、 『学び合い』は学術データに基づき構築されていますが、イエナプランやサドベリー・スクールの場合は「そうあるべきだ」というものが先行しているように思うのです。

 イエナプランやサドベリー・スクールで書かれていることは 『学び合い』をものすごく重なります。しかし、読みながら思うのは、その教育には入れない子どもがちらつくのです。

 例えば、「イエナプラン教育の20の原則」の大部分は民主主義の基本的人権に関わる事であり、これはイエナプランかどうかのものではなく、民主国家の公教育のよって立つべき基本だと思います。

 ところが方法論になると、違うな~っと思うのです。

 例えば、「学びの場(学校)では、子どもたちがお互いに学びあったり助け合ったりすることができるように、年齢や発達の程度の違いのある子どもたちを慎重に検討して組み合わせたグループを作ります。」とあります。省略していますが、この「組み合わせたグループを作る」の主語は教師です。しかし、私の知る限り、最適なグループを作り得る学術的根拠を知りません。 『学び合い』の場合は、最適なグループはその場その場で形成されるものだと思っています。

 以降の原則17~20も、まあ、望ましいとは思うのですが、全員にとって合っているかな~っと思うのです。(もちろん、イエナプランがインクルーシブであることはよく承知しております)

 サドベリー・スクールなどはそれが顕著で、「子どもは生きていく上で必要のあることは自分で学んでいくことができる」という前提ですが、そうできない子どもはいるだろうな~っと思うのです。

  『学び合い』の場合は、 『学び合い』の基本理念を本当に理解し、行動するのは2割程度と見切っています。そして、2割の子どもは、最後まで分からないだろうと見切っています。そのことを前提として一人も見捨てられない教育を実現することを目指しております。それが成り立った後に、理想の教育を構築しようと考えています。

  『学び合い』の場合は、一人一人が違うことを前提としています。だから方法の縛りは、極力、少なくしています。というのは、全員にフィットする方法はないと考えているからです。従って、学び合わないということも、 『学び合い』ではOKです。

 という違いがあるものの、共通点が多いのは、その基本としてものが似ているからだと思います。それは人間の人権に関する考え方です。ただ、イエナプランの場合はその原則の1~10がそれに当てられているのに対して、 『学び合い』の場合は「一人も見捨てない」だけなのです。では、その一人も見捨てないの見捨てられない物とは何でしょうか?イエナプランでは「価値」であり、「権利」です。その通りだと思います。ただ 『学び合い』の場合は、見捨てて欲しくないものは何かを決めるのは本人だと思います。そして、周りがどれだけ見捨てないかを決めるのだと思います。だからあえて「一人も見捨てない」と簡単に記述しているのです。

 と思うのですが、教えて下さい。

追伸 いずれにせよ、入り口は違っても、最終的に到達したい姿は極めて似ていると思っていますし、私は大好きです。ただ、私はどこまでいっても理系人間なのです。
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