ひとりも見捨てないことを、あきらめない

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生徒が自分たちのやるべきことを、みずから認識する

 「生徒が自分たちのやるべきことを、みずから認識する」というのは、とても難しいことだと思います。なぜなら、学級担任として「この子たちに、こうしてほしい」という願いが常にあります。子どもたちは、その願いを敏感に察知します。したがって、「子どもたちが自分で発見したのか」、「それは、もしかすると教師の強制ではないのか」、「教師の価値観を、子どもに押し付けているだけではないか」など、さまざまなことを考えなければなりません。そして、いくら考えてみても、結論が出ないことがたくさんあるのです。

 

 でも、私は、「それでよい」と思っています。そもそも、子どもたちも、我々教師も、本当のところは「これが絶対に正しい」という答えを持っているわけではありません。我々教師は、子どもたちが20年後、30年後に幸せになっているかどうかで、自分たちを評価すべきだろうと、私は思います。けれども、それは残念ながら「有効な評価」ではありません。なぜならば、採用権者は、20年も30年も待ってくれないからです。

 また、仮に、20年後に子どもたちが幸せになっていたとしても、その原因が「いまのわたしにある」とは、到底立証できませんし、少なくとも私はそんなことを立証しようとは思いません。私は、子どもたちに「自分たちの力で、自分たちの幸せをつかんでほしい」と願っているからです。

 

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 さて、しかし、子どもたちがやるべきことは、厳に存在します。たとえば、「勉強すること」は、子どもたちがやるべきことです。わたしは、毎年4月になると、「学校というのところは勉強するところだ。皆さんには、とことん勉強しほしい」と必ず言います。

 このような「やるべきこと」については、最初のうちは「これをやりなさい」と教師から与えられることが多いだろうと思います。

 しかし、ここが分かれ目で、「教師は、やるべことの価値を淡々と伝えていく」か、それとも「やりなさい」と連呼するか、によってだいぶ違ってきます。連呼していては、おそらく生徒たちは育たないでしょう。

 

 さて、わたしは、「児童・生徒が、そのなかから、ミッションにふさわしい事柄を自らつくりだしていく」という能力を持っているとおもっています。また、「自分たちでつくりだしたミッションだから、本当の意味で自発的に取り組んでいく」ということになろうかと思います。

 子どもたちは、特別の道具を何も持っていません。でも、何度か試していくなかで、自分たちが何をすべきかを、次第に認識していきます。特に、「チームとして行動すると、自分たちにできることは格段に増えていく」ことを実感するようになると、子どもたちは、どんどん「自分たちで何かをしよう」と考えるようになります。

 最終的に、「自分たちは、やはりチームとしてミッションを共有しなければならない」と子どもたちは、考えているのだろうと思います。そして、やるべきことを自ら認識し、実行していくのだろうと思います。

 

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