「うまくいくと信じる」ということ 08/29 木
「判断する」というのと、「信じる」というのは、ちょっと違うと思います。その違いについて、感じていることを書きます。
どちらが優れているという話ではありません。両方必要だと思います。「判断する」については、その判断が正しいか間違っているかは別の話ですから、「信じるよりも、判断する方がいい」とは言えないでしょう。また、「信じる」のなかにも「盲信する」というものもありますから、「判断するよりも、信じる方がいい」とも言えないと思います。
ただ、どちらが先かというと、判断が「先」で、信じるは「後」だと思います。さまざまな判断材料(=理由)を考慮して「判断」したら、後は「もう、信じるしかない」と思っています。理由をつけて結論を出すのが「判断」ですので、「だいたい、理由はこれで全部かな」という段階になったら、その先は、理由なしで信じて実行するしかありません。
なにか大切なことを判断しなければならないときに、いろいろ理由があって、だからこういうふうに大丈夫だと判断して、大丈夫だという結論を出します。けれども、「もしかすると、なにか自分のまだ知らない事柄によって、うまくいかないかもしれない」と考えてしまいます。そうすると、とても不安になります。不安になりますが、「ここから先は信じよう」と考えて前に進みます。
この「先に進む」というのが大事で、「たくさんの理由を考えて、判断に時間をかけて、結局はタイミングを逃す」ということを避ける意味があります。ある程度、集中して考えて判断材料を得たら、「よしやってみよう」「きっとうまくいく」と信じて、前に進みます。
こういう言い方をすると、「中途半端な判断で、適当にやっている」という投げやりな雰囲気を感じるかも知れませんが、それとも違います。だいたいの判断材料を集めて、こういう風にやろうと判断したら、その時点では選択肢が2つとか3つとかあるかも知れません。でも、それなりに判断材料を集めていますから、大きくハズれることはないと思われます。どちらにしても、おおむね成功するだろうから、どんどんやってしまおうという考え方で、「きっと大丈夫、きっとうまくいく」と信じてしまうということです。
さらに言えば、多少失敗しても自分を責める必要はないし、軌道修正しながらどんどん実行していけるとも思います。「うまくいくと信じる」ことは、こういう意味です。